失はれる物語

「辺境幻想」という、金子雅和監督の短編映画3本詰め合わせの上映で、私は乙一原作の「失はれる物語」を見に行ったのですが、他にも「鏡の娘」「こなごな」という2本が上映されました。
「鏡の娘」「こなごな」は、なんかすごいシュールでして……というか、本当にこういうミニシアターでやる感じの映画は、良い意味でも悪い意味でも「得体の知れない」映画が多く、予期せずグロかったりするので、結構参ります。
それで、その2本共に「小深山菜美」さんという女優さんが出てくるのですが、最初の作品(2008年制作)では学生の役で、次の作品(2009年制作)ちょっと大人っぽくなってて、あっ小深山菜美成長してる!とか思い、そしたら最後の作品でまた女性が登場し、あれ…これももしかして小深山菜美?小深山菜美じゃないか!?と、もう途中から小深山菜美かどうかが気になって気になって落ち着きませんでした。結果小深山菜美さんでした。最後は大人っぽくなって妊婦さんの役で登場していたので、同一人物とわからずwていうか、小深山菜美成長記録みたいになっていました。



さてそれはさておいて映画ですが。(以下ネタバレあり)



この「失はれる物語」は事故で右腕の皮膚感覚以外がなくなった男の話で、小説では独白で話が進んでいきます。動かせるのは右の人差し指1本だけ。
これは乙一作品の中で最も映像化は難しい作品と言われ、それをどう映像化するのかというのは非常に興味がありましたが、友人が言った「これってラジオドラマにしたらいいと思う」と言うのが全てでした。男は感覚はなくても脳は正常で、最初は妻と指1本でコミュニケーションをしたり、ピアニストの妻が腕で弾くピアノを感じたりして、生きている実感を得ますが、やがて介護生活が長くなったことで妻が疲れていき、その涙を右腕で感じ取り、悩んで、苦しんで、そして最後は妻を想って、自ら指を動かさなくなる。そういう過程があるのに、その描き方が急で雑に思えた。あと一番がっかりしたのは、途中まで一切男のモノローグがないので、敢えて無しで行くのだなと思ったら途中で急に入ってきて、なんでここで今安易にそれをやるんだろうと。妻からのメッセージを字幕で入れるのも好きではなかった。モノローグや字幕を使って表現するのは簡単だと思うが、この作品を敢えて映像化するのであればその手法は個人的にはズルというか逃げだと思うのです。あとこれは好みがあるかもしれませんが、ピアニストの妻が腕でピアノを弾くところは結構ポイントなので、せっかくならピアノの音をもっと使って欲しかったというのもあります。


小説より映画の方が「一見」爽やかに終わった感じで、結末は嫌いではなかったですが。あと主人公と妻が知り合うところを入れたのは別に良かったんですが、なんか男がじとっとしてストーカーみたいで気持ち悪かったし(まあ乙一の描く主人公って、若干気持ち悪いキャラが多いんだけども)、ところどころの全裸で草原歩くみたいなのは意味わかるけど好きじゃない演出。
金子監督も映像化は難しいことをわかっていながらチャレンジしたと言っていましたが、すごいいい演出を思いついたからという理由とかなら別として、チャレンジ精神みたいな気持ちで映像化するのはやはりだめだということを改めて感じました。




ちなみに最後に金子監督、乙一、役者2人(小深山菜美さんも)とのトークショウがありましたが、乙一氏はホント一見ヤバそうなのがたまらないですwこういう人だからああいう小説書けるんだろうな。握手してもらっちゃった!



予告編